1 新たなる世界

2011年5月、地元の同級生であるジンとシュンスケと地元の銭湯に行った時だった。3人で湯船につかりながら、ふと子どもの頃を懐かしんでMTGについて語っていた。
自分自身、高校では部活に熱中し、大学の時も中古ショップでブロックオリパを購入する程度でほとんどMTGをプレイしていなかった。それでも、小学校から中学校までガッツリ遊んでいたMTGの懐かしい思い出はジワジワとあふれ出してきた。
≪高みのドラゴン≫、≪夜のスピリット≫、≪双頭のドラゴン≫などの懐かしのクリーチャーの魅力を語り合い、何故か一人だけガチデッキ(カウンターマギータ)を組んできた友人を思い出し、各々がMTGを始めたきっかけについて教え合った。誰にでもある旧来の友人との時間であるが、こればかりは語るだけでは終わらなかった。
「話していたら久々に遊びたくなった。」と俺が言うと、2人とも賛同した。銭湯から出るとホビヨンという名前の地元のおもちゃ屋に向かった。英語なのか造語なのかよくわからない名前のそのおもちゃ屋は、改装こそしているが、当時から残っている数少ないおもちゃ屋だ。
おもちゃ屋に向かう途中で最新のセットについて調べていると、新たなるファイレクシアというセットが発売予定であることが分かった。“ファイレクシア”という当時から聞き慣れた単語と、≪ファイレクシアの抹消者≫という当時とは比較にならないほど強力なクリーチャーの情報を得て既に3人とも興奮していた。
ホビヨンには相変わらずMTGが売っていたので、その時売っていたアラーラなどのパックとDuel Deck:Knights vs. Dragonsを購入し、近場のとんかつ屋に入った。とんかつを食べながら、とんかつよりも魅力的で脂ののった新しいカードに熱狂し、3人はあっという間に没入していった。
当時は、社会人になってから2年が過ぎて間もない頃であり、まだまともな収入もなく生活するのに必死だった。今も大した収入はないが。当時は、昼食は水分のみ、朝食はヨーグルトだけ、夕食は食べたり食べなかったりの極貧生活を続けていたが、それでも社会人3年目になり、時期によっては多少の余裕ができるようになっていた。
この日から、そのわずかな余裕を駆使し、3人で毎週金曜日に我が家に集まって数時間MTGをプレイするという生活が始まった。遊び始めたのはもちろんレガシー。本当はヴィンテージをしてみたいけど高いし、スタンダード等のローテーションのあるフォーマットは時間的にも金銭的にも追いかけられる気がしないし、古い懐かしいカードが使いたかったから当然の結果といえる。
これが、その後現在に至るまで10年以上の付き合いとなるMTGとの再会だ。

2 初々

その年の8月に、俺は≪Underground Sea≫を4枚購入していた。当時の価格は4枚セット4万円で、ヤフオクを利用して購入した。当時は特に店舗での販売価格とヤフオク等のオークションサイトでの個人販売の価格の乖離が大きく、そこまで偽物等も流通していなかったため、積極的にヤフオクを活用していた。
現在の価格と比較するとあまりにも安いのだが、未来のことなど知る由もないので、初めての高額カード購入に震えていた。「ついに買っちまった。」と心の中で呟きながら、比ゆ的な表現ではなく、文字どおり手が震えていた。誰にも経験があると思うが、初めて高額カードを購入しその手に取った時は手が震えるものだ。うれしくて、触るのが怖くなるくらいに大事にしていたし、カードを眺めながらそれを肴に酒が飲める。まあ俺は酒をほとんど飲まないのだけれど。
他の2人も少しずつカードを集め、デッキとしてある程度の形になったところで大会に出てみようということになった。調べたところ、Shizuoka Makes Revolution(SMR)という大会が静岡で開催されているとDiary Note(DN)に記載があったのでこれに参加してみることになった。
この大会の記録が、DNに書いた最初の日記である。2012年1月24日に書いたこの日記のことも、なぜ日記を書こうと思ったのかも今はもう覚えていないが、参加した大会のことは良く覚えている。特に、最後のマッチで初めてコンボを決めて勝った瞬間のことは。
この、復帰後初めての大会で使ったデッキは、その後長いこと相棒として使い続けることになるANTである。子どもの頃にピットサイクルというデッキに憧れ、コンボデッキの美しさに惚れ込んでいたので、これもまた当然の結果なのかもしれない。

3 Make friends

その後、俺達3人はSMRからさらに行動範囲を広げ、浜松のプレリリースパーティから始まり、グランプリのサイドイベントのレガシーや東京のエターナルパーティなどの各地のレガシーイベントに参加していった。
2012年のグランプリ名古屋のサイドイベントであったエターナルパーティでは、一時的ではあるがTOP8に名前を連ねることができた。(結果入力の間違いがあったのか、のぶ(斉藤伸夫)の申し出により順位が入れ替わって9位になる。)
大会を練り歩きつつ、DNでもいろいろな人と交流を広げ、各地のレガシープレイヤーと話をする機会ができた。
子どもの頃から何かに夢中になると止まらない性格であり、周りが飽きてしまっても一人で延々と遊び続けている傾向があり、“凝り性”と言われることが多かった。そう、今回も最初の2人はついてこられなかった。仕事など多忙になると次第に一緒に遊ぶ機会は減り、俺は2人を置いて大会に参加していった。
寂しくはあったが、つまらなくはなかった。MTGを遊んでいれば、自然と遊ぶ仲間ができ、DNやTwitterなどからさらに交流を広げていくことができた。“Play the game, make friends.”ということか。
本来の標語である“Play the game, see the world”の様に世界を飛び回ることはなかったが日本中にMTG仲間ができた。途中でMagic Online(MO)を始めたこともあり、日本中どころか日本にいながら海外と交流することも増えた。
気付いたら、高額カードを触っても手が震えなくなっていたし、パワー9を購入することも躊躇しなくなっているなど金銭感覚が崩壊していたのだが、それは些末なことだろう。パワー9を2枚同時期に買ってクレカの請求が40万を超えた時は流石に驚いたが。

4 オールイン

文字どおりMTGにオールインした生活だったが、2016年頃に大きな問題が発生した。SMRが開催されなくなったのだ。主催の都合により静岡県中部唯一のレガシーイベントが途絶えてしまった。
これはまずい!というか俺が遊ぶ場所が欲しい!ということで急遽All In Legacy Tournament(AIL)という大会を主催するようになったが、会場として公共施設を借りようとしたら「営利目的の使用はできません。」と言われ、大会のマッチングをするのにWizards Event Reporter(WER)を利用しようとしたら登録店舗名義でしか使用できないなど、問題が発生して開催はかなり難航した。
営利目的ではないことの説明や大会運営ソフトの調達など、何とか問題を解決し、DNで告知しつつ8人前後という仲間内だけの少人数ではあるが細々とレガシーをプレイできる環境を確保し続けていた。そこに2019年12月に大きな変化が起こった。晴れる屋静岡店の開店だ。
その当時のMTGにおける国内最大のショップは、Big Magicか晴れる屋かといわれる中で、晴れる屋が次第に事業を拡大していた。「静岡に晴れる屋を!!」と静岡県のMTGプレイヤーの多くが願っていただろう。しかし、仙台・横浜・広島など主要な都市を差し置いての静岡店の開店に正直驚いたが、素直に嬉しかった。やはり静岡は大都市だな。※『ウルトラマン』第14話(VSガマグジラ)参照
「これで大会主催という役割も必要なくなるな」と小さな寂しさと大きな嬉しさを抱えたまま開店記念イベントと開店記念イベントの後の飲み会にも参加した。その飲み会で「晴れる屋静岡店でAILを開催しませんか」と言われた時はすぐに言葉が出てこなかった。
「!??!・・・ええんか??」
そのまま2022年3月現在までの3年以上、晴れる屋静岡店の全面的な協力の下でAILを開催しているが、参加人数も毎回10人を超え、これまでレガシーをプレイしたことがない初心者の参加も増え、SMRやAILがこれまでに築いた以上の影響を静岡のレガシー業界に与えてくれている。晴れる屋と公式店舗というネームバリュー、イベント運営のノウハウと人材、そして店舗という会場があることの強さを実感した。
但し、レガシーに限って言えば、過去の大会、特にSMRが築き上げた基礎がなければこれほど静岡でレガシーをプレイする人はいなかったと断言できる。そしてそのSMRの告知が行われていたDNも静岡のレガシーにとって欠かせないものであった。
因みに、晴れる屋静岡店の大会最高動員数は多分2019年末のAILアンシー争奪戦(44人)なので静岡はレガシーが最強です。(※賞品が強かっただけ)

5 D感N感

正直、ここ数年、特に2020年以降はDNを利用している人はかなり減少していた。Noteやその他のブログなど様々な情報公開手段が浸透し、同時にMTGのプロプレイやスポンサードが広まることにより一個人の作成する情報の価値が減少するなど様々な要因があって少なくなっていったのだと思われる。
そんな中で、昨年の新規アカウント登録の停止、そして2022年3月末での新規投稿の停止という実質的なサービスの終了が告知された。
実際、自分も最近は大会告知以外の文章はnoteに挙げていたし、DNを見る機会はほとんどなくなっていたが、いざサービス終了となると悲しいものである。
そもそも、まともに文章を書くということを、大学の論文でやったくらいであり、DNもほとんどまともな文章は書いていないと思うし、今でも人に読ませられるレベルに達していないと思っている。それでも文章を書いて公開し続けていくことで手に入る能力はあるだろうし、DNで得た経験は今後別のフォームに移っていく上でも重要なものになるだろう。
ありがとうDN。さようならDN。

6 三四郎

もちろんこれからも可能な限りAILを開催し続けていこうと思います。開催すると言ってもほとんど晴れる屋でやってくれるので俺の手間はあまりないのだけれど。
ただ、DNへの新規投稿は3月で終了となってしまうので、以降の更新は以下のとおり方法を変更して行います。
大会告知⇒Twitter URL:https://twitter.com/shot_a33?s=21
その他⇒note URL:https://note.com/shot_a33
特にTwitterは大会日程や賞品の情報などをツイートしていきますのでフォローよろしくお願いします。
NoteはまあDNと変わらず駄文が流れていくだけなので気になったらフォローしておいてください。

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