賭博について

2022年2月17日 考察
念のため、以下に記載する情報や意見は、学部で法律を齧った程度の法的知識にちょっとググった知識を上乗せした素人のものであり、間違いや一般的な解釈との相違がある可能性がありますので一切信用しないでください。


1 賭博の法律上の取り扱い
※常習賭博や賭博開帳図利については面倒なので省略。

刑法185条 賭博をした者は、50万円以下の罰金または科料に処する。

(1)構成要件
ア) 偶然の勝敗により財物等の得喪を争うこと
イ) 財物や財産上の利益を賭けること(「一時の娯楽に供する物)を除く)

簡単に言うと、
勝敗等の結果が確率等により変動して予測できず、その結果により一方が利益を得て一方が損失を被るものであり、金銭だけでなく物でも成立するが、その場で消費するようなもの(飲食物等)であれば問題ない。

例を挙げると、
・金銭を賭けて行われる麻雀、ポーカー、バカラ等のゲーム⇒賭博であり違法
・金銭を賭けずに行われるゲーム⇒賭博ではなく合法
・アイスじゃんけん⇒賭博ではあるがセーフ(但し書きで違法性がなくなるのか違法ではあるが罰しないだけなのかわからないので誰か教えて)

(2)スポーツ・e-sports等の賞金制の大会
ア) 参加者から集めた金銭を参加者に還元する形で開催された場合:違法
1人10,000円を参加費として回収し、うち6,000円を運営費、4,000円を賞金として設定して100人集まる賞金制の大会を開催した。この場合、間接的ではあるが参加者同士で参加費のうちの4,000円(計40万円)を奪い合う(得喪を争う)ことになるので、違法行為となる。

イ) 参加者からは運営費だけを徴収し、賞金はスポンサーが準備する場合:合法
参加費は1人6,000円で、スポンサーから総額40万円分の賞金が提供され、定員100人の賞金制の大会を開催した。100人を定員としていてもスポンサーからの出資金額は変動なく、仮に100人集まらなくても賞金の金額は変わらない。参加費と賞金の連動がなく、参加者同士で金銭を奪い合わず、大会の結果により第三者から金銭が授与される。よって賭博には該当しない。

ウ) 参加者から運営費を徴収し、賞品等を運営者が提供する場合は・・・?
参加者は1人6000円の参加費を払い、運営者があらかじめ決めた賞品を提供する。あらかじめ決まった賞品であり、参加者同士で金銭を奪い合うものではないため、賭博には該当しない可能性がある。ただ、参加費を受け取る人と賞品等を提供する人が同じ場合、参加費を賞品に充てていないという明確な判別が難しいため、賭博であるとみられる可能性もある。また、賞品ではなく賞金を提供した場合は完全に判別不可能であるため賭博に該当する可能性が高い。
なお、賞品を提供した場合でも、少なくとも景品表示法における一般懸賞に該当するため、同法の上限額等を遵守する必要がある。


2 刑法185条の立法目的
自分で調べるの面倒だったので、Rootportさんのツイートから飛んで昭和25年11月22日最高裁判例を拝借
「賭博行為は、一面互に事故の財物を自己の好むところに投ずるだけであって、他人の財産権をその意に反して侵害するものではなく、従って、一見各人に任された自由行為に属し罪悪と称するに事足りないようにも見える」
「勤労その他正当な原因に因るのでなく、単なる偶然の事情に因り財物の獲得を僥倖せんと相争うがごときは、国民をして怠惰浪費の弊風を生ぜしめ、健康で文化的な社会の基礎を成す勤労の美風を害する」
「暴行、強迫、殺傷、強窃盗その他副次的犯罪を誘発し又は国民経済の機能に重大な障害を与える恐れすらある」
「ことに賭博開帳図利は自ら財物を喪失する危険を負担することなく、専ら他人の行う賭博を開催して利を図るものであるから、単純賭博を罰しない外国の立法例においてもこれを禁止するを普通とする。」

要約
詐欺などと違って、賭博はあくまでお互いの合意の上で行うものであるから犯罪とするには弱いところもある。
しかし、労働により収入を得ることが社会全体のためであり、賭博の様な不労所得は社会に悪影響を与え、金銭のトラブルにより暴行などの別の犯罪を誘発させる可能性がある。
特に、賭博開帳図利(賭博場を営業すること)は(反社会的勢力の資金源となるなど)日本だけでなく世界でも禁止にされていることが多い。
よって、日本ではこれを違法としている。(違法としていることは適正である)

3 個人的意見
最高裁判例の言うことはもっともではある。
社会全体の俯瞰的視点で考えた場合、通常の労働を善として、不確実で不安定な収入となる賭博を悪とする考え方自体は大きく間違ってはいないと思う。
しかし、起業した場合の事業の成功や、個人の生まれながらの資質など、勤労も運の要素が一切ないというものではない。
ゴルフの大会など、スポーツにおける賞金制の大会は現在でも合法とされ、プロスポーツ選手は社会的に認められた1つの労働形態となっている。また、同様にe-sportsも社会的に認知され、e-sportsとは少し違うが、TCGでもプロとしてのプレイできる環境が拡がりつつある。
こういった社会的な変化の中で、依然として「単なる偶然の事情に因り財物の獲得を僥倖せんと相争う」ことを悪とするべきかについては疑問がある。
少なくとも、賞金の得られるスポーツの大会と、e-sportsやTCGの大会には、法的にも、個人の実力を練習等により伸ばして競い合った結果として対価を得られるというこれらの行為の本質的にも全く違いはない。
賭博という言葉は、賭事と博戯の2つの言葉を合わせたものである(らしい)。賭事とは参加者がその結果に関与できないもの(宝くじ、競馬、バカラ等)で、博戯が関与可能なもの(賭け麻雀、賭けポーカー等)である。
賭事については、「単なる偶然の事情」と呼べるかもしれないが、博戯については偶然だけでなく参加者の力量に依存するところが少なからずある。博戯は、その賭け部分を取り除けば純粋な力量を競うゲームであり、スポーツやe-sportsと何ら変わるところがないのであり、「単なる偶然の事情に因り財物の獲得を僥倖せんと相争う」というようなものだとはとても考えられない。
確かに、参加当事者同士で直接金銭を奪い合う方式においては、暴力等の副次的な犯罪を誘発させる可能性はあると思うが、それはスポーツ等の大会でも賞金を奪い合うことには変わりないので十分に起こりうることである。
また、これまで出てきた以外でもよく取り沙汰される問題としてはギャンブル依存症の話題がある。人は射幸心を煽られると自分の意志だけでは止められなくなることがあるが、公営ギャンブルを運営している以上、これは賭博を違法とする理由にはならない。
以上のことから、Rootportさんのツイートにもあるが、現在における賭博、特に博戯については、違法とする目的は反社会的勢力の資金源となることだけになる。
だとすれば、公営だけでなく公的な許可が必要な民営など一定の監視下であれば十分に合法化できそうであるし、業として行う(賭博開帳図利)のではなく個人的な賭博であればこれも違法とする必要性がないのではないだろうか。

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